不要不急って

身体が危険に晒される状態に追い詰められると見えないものが露呈されてきます。この国の文化的後進性もその一つです。ドイツでは「芸術家や文化施設は生命維持に必要」と文化相が表明しています。日本ではピアノの先生が窮状を訴えているのに対して別の仕事をすればとの返答する役人がいます。
「飢えた者に文学は必要か」「人間はパンにてのみに生きるにあらず」人はこの二つのテーゼを往来しながら生きているのです。家庭内の会話「人間は何の為に生きてるの?」との問。「立派なウンチを生産する為さ」と自虐的な答え。これは動物が肉体を維持する最低限の結果です。これ以外の行為は不要不急と言いたいのでしょうか?自宅にこもりテレビもスマフォも本も無ければそれこそウンチ製造機に化してしまいます。この国の最初のコロナ対策が学校閉鎖でした。学校が一番の不要不急と考えているのでしょうか?広々とした公園の駐車場を閉鎖してしまう。閉鎖する順番はこれでいいのでしょうか?生産活動に直結しない、経済活動に組み込まれない文化芸術、芸能スポーツは不要とする体質がこの国にはありそうです。
食べること以外を制約されると、なんと窮屈な事ヨ。活力が失われるのを実感しました。この窮状で得られた体験は貴重で忘れないようにします。「遊びをせんとて生まれけむ、戯れせんとて生まれけむ」このフレーズが頭に浮かびました。

土屋 政夫

新日本美術協会 委員 葛飾区美術会 副会長