tsuchiya-masao's Works

この文明に思う事

・初めに

日々日常の中で、疑問に感じることが多々あります。疑問も元になっているもが何なのかを考えていきたいと思っています。

・以下、考えのメモ

 「この文明の行く末」

まえがき

        世の中を見渡すと新たな技術が次々と開発され続け発展していく様には驚くばかりである。それらを支える科学は深く広く未知の領域に光を当て、縺れている疑問を解きほぐしていく。見える世界は遠く宇宙の果てにも広がり、ミクロの先の世界までも深く認識できる知識を与えてくれる。様々な道具は便利で快適な日常をもたらし、医学の分野では最新設備や治療法が発見され増々長寿になる。人々の移動空間は広がり、社会的生産活動は分業化して多くの職業選択肢を提供してくれる。大量生産されたモノは豊富に溢れかえる。そして地球上に人口が増え続けている。これは紛れもなく人類の進歩であり発展であるに違いない。多くの人々に恩恵をもたらし文化的な生活を送らせて呉れている。

  私は画家を自任している。絵も描いているが、描きたいという気持ちよりも、何故、人類は絵を描き始め今も描き続けているのだろうかという疑問に対し納得のいく答えを見出したいと思う気持ちの方が強いようだ。文明に対してもまた然り。どんどん生まれ続けるテクノロジーは絡み合い縺れ合い巨大化するモンスターの混沌を人間は調教できるのだろうか?この先どこに突進し、人類に何をもたらすのだろうか?自分なりに探ってみたい。わたしには学者のように科学的に調査、分析、研究する道に進む脚力はない。人間行動の心理を想像し、乏しい知見から類推し感覚的に俯瞰していくことになるだろう。

文明の洗礼

 物心ついたころ、我が家にラジオがやってきた。そこに大人が二人いて、神棚のような棚を作り、ラジオを乗せた。屋外にアンテナを立て電源スイッチを入れ、しばらくするとそこから音が出てくるではないか。箱の中には小人さんが入っているのではと不思議で衝撃的な出来事でした。そのラジオから流れる「赤胴鈴之助」は少年を夢中にさせ想像力を掻き立てた。同じ頃に石油コンロを炭屋のおじさんが運び入れた。新聞紙を丸めその上に小枝を並べ焚き付けなくても、マッチ一本で火が付く。石油を吸い込んだ柔道帯のような石綿に火が点いているのに石綿は燃えない。燃えない布があるのだと痛く感心した記憶があります。小学の高学年になった私は、秋葉原のジャンク屋で部品を探し回る電気オタクになっていました。母親一人で家計を支える我が家に最初に入った白物家電は洗濯機です。ローラー式の絞り機を回しながら、洗濯物が本当に楽になったワと母。今ではどの日本の家庭にも、冷蔵庫、クーラー、テレビがあるのが当たり前になっています。パソコン、スマフォは大半の個人に行き渡ろうとしています。戦後70年の短い期間に、日常生活は便利になったものだと感心します。

 蒸気機関発明以降の技術は凄まじい勢いで進歩し続けています。蒸気機関車、自動車、高速鉄道、飛行機、ロケット、これらの移動手段の発展は活動領域を広げ人々の交流を促しています。実用運航の人工衛星は気象用やGPSなどの有用な情報を収集し生活を便利にします。エネルギーについては多種多様にコントロールする方法を見出していて、エネルギーを瞬時に爆発させるダイナマイトや原爆は破壊作用を容易にした。バッテリーは蓄積したエネルギーを電気として放流をコントロールしながら利用されている。電線を通し電気は素早くどこにでも光や熱や運動エネルギーとなるべく移動を容易にした。音を微細な電気信号に変えて放送、通信をしている。文字はデジタルコード化することで同様にどこでも誰とでもコミュニケーションが取れ、インターネットのインタラクティブな環境は誰でもが発信者になれる。それに伴い、これまでの情報発信者の優位性に乱調をもたらしている。個人が個別に発する情報は隷属的束縛からの解放のようであり、自由そのもののようであり、そして混沌の元凶になっているようである。形の定まらぬ多様な情報ベクトルの集合体は混沌というアメーバーのような不定形なムードを漂わせる。

技術革新が産業革命を起こし、社会体制の変革に続き人々の生活様式や心までにも変化を加えていく。先を見通さぬままでの技術開発に疑問を持つようになりました。この様な文明のそもそもの生まれるきっかけはどこなのだろうか?なぜ誕生したのだろうか?

文明とか文化は人体と外界の境にバリアーとして存在する。緩衝材としてのバリアーの出現を生命誕生の時点までさかのぼって見ていきたいと思う。

自然のバリアー

地球誕生当初はマグマが噴出し、隕石の落下の衝撃で個体は蒸発し、雷の閃光が飛び交うまさに灼熱地獄だったことでしょう。雨が滝のように降っても一瞬で蒸発してしまう。その繰り返しで地球が冷えてきた40億年前に生命が誕生します。そこには海水と言うバリアーが存在していました。当時の地表は強い紫外線に晒され、生命が生存できるような環境ではありませんでした。紫外線や荷電粒子の脅威から身を守れる海水バリアーのお陰で生命が誕生したのです。海水に溶けこんだ有機物が海底から湧き出る熱水が作用し化学進化により最初期の生命である原始生命体になったと言われています。30億年前に出現した光合成細菌シアノバクテリアは水(H2O)の水素を利用する代謝システムを採用しました。結果、毒性の強い酸素を大量に放出したのです。その中で酸素と共生に成功した細菌類は酸素呼吸する好気性バクテリアとなり大きなエネルギーを獲得する仕組みが出来上がります。有機物を取り入れる同化代謝が捕食、被捕食者の関係成立の最初だと思います。一方、酸素の少ない場所に移住しひっそりと生き延びたものもいます。これが住分けの論理というのなのでしょう。次に出現するバリアーは磁気圏です。金属を含むマントルの対流に依って出来る磁場が磁気圏を形成させます。海水と同様に太陽風のプラズマ化した荷電粒子を阻んでくれます。これで生物が陸上に這い上がれる条件が整ってきました。それから、多細胞生物の出現、氷河期を乗り越え、カンブリア爆発という多様な生物が誕生する時代を通り越し、長い時間を経ることになります。5億年前ころにオゾン層が形成されました。成層圏では紫外線により酸素が分解され出来た酸素原子と酸素分子と結合してオゾン(O3)となります。オゾンは紫外線の中でも波長の短く危険性の高い領域を吸収します。更なる遮断効果は生物の進化を助けたに違いありません。時が流れ下り二足歩行の人類がアフリカの灼熱の草原を走り回っている光景を想像してみて下さい。汗を流しながら懸命に獲物を追い、敵から逃れるには早く長く走れなくてはなりません。体毛は邪魔になり,汗腺を発達させ放熱しなければそれは不可能です。頭部と陰毛を残し体毛を減らしていったのでしょう。ることにより,直射日光下でも歩き回れるようになったそうです。人体の皮膚中のメラミン色素

人工バリアー

文明のとは

人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

を整理出来なければ多勢に身をゆだねる模倣の蔓延化によるポピュリズムと言う独裁につながっていく。

生命の誕生

  40億年前に生命が誕生したとされている。地球に隕石が衝突しマグマが噴出し、大量の雨が降り、雷が落ちる、いわゆるジャイアントインパクトが起こった過酷な地球の海の底が原始生命体の生誕地だ。やがてたんぱく質が合成されてシナノバクテリアが出現したのが30憶年前。そしてミトコンドリアや葉緑体になる。陸に上がった緑藻類は大地を覆い、無脊椎動物が這上がり、脊椎動物が上陸したのが4憶年前です。それから2億年の時を経て恐竜が席巻する時代がやってくる。6500万年前に、恐竜は忽然と姿を消し、ほぼ同じ時期に霊長類が出現してくる。ようやく600万年前にチンパンジーと分かれて、ついに人のお出ましとなる。ここで想像することは40億年間のとてつもなく長い時間の記憶が私たち人間のDNAに刻まれているのではないかと思うのです。

文明の誕生

今から約400万年前、南アフリカの南部で発見された猿人は、直立歩行をしていたことがわかった。70万年前の北京原人は火を使用し、言葉を用いていたと考えられている。20万年前、ドイツで発見されたネアンデルタール人は現在の人類に近づき、死者を葬る習慣があったこともわかっている。約4~5万年前に、フランス南部で発見されたクロマニョン人は、石器や骨角器を用いて狩や漁を行っていたことがわかり、体や顔つきは現在の人類とほとんど変わらず、知恵が発達し、現在の祖先にあたる。このころまでの約400万年以上の間、人類は洞穴に住み、動物の群れのような集団で獲物を求めながら不安定な生活をしていた。

猿人、原人、旧人、新人と作る打製石器は握斧石刃石槍弓矢より精密な打製石器や骨角器をつくり
 彼らは、石をうちかいた打製石器を使って狩や漁を行い、木の実なども採集していた。さらに、クロマニョン人たちは洞窟に壁画を描き、スペイン北部のアルタミラやフランス南部のラスコーの牛や鹿などの絵が有名である。
今から約1万年前、氷河時代が終わり、地球が比較的温暖な気候になると、人類は野生の動物を飼いならし、野生の植物を育てるようになった。こうした牧畜や農耕が始まると、今まで採集による不安定な生活から計画的な食糧生産を行うようになった。
 農耕や牧畜が始まった時期はまだ解明されていないが、およそ9000年前に西アジアで大麦や小麦の栽培が人類最初の農耕とされている。ただし、最初の頃の農法は、雨の水に頼る乾田農法と肥料を使わない略奪農法であった。

 大河の流域では、土地が肥え、温暖で雨が比較的少なかったため、麦類やあわ・きびなどの作物に適しており、作物の水を水路によって供給し、耕作地をうるおす灌漑による農法が発達していった。

 灌漑による農耕は人口を増加させ、さらには文明を発展させていった。
世界最古の文明は、今から約5000年前のエジプトのナイル川流域におきたエジプト文明と、西アジアのチグリス・ユーフラテス川流域におきたメソポタミア文明であった。
 ついで、今から約4500年前の今のパキスタンであるインダス川流域のインダス明、今から約3500年前の中国の黄河流域の中国(黄河)文明であった。

 これらの4つの文明を四大文明という。

農耕・牧畜のはじまり

今から約1万年前、氷河時代が終わり、地球が比較的温暖な気候になると、人類は野生の動物を飼いならし、野生の植物を育てるようになった。こうした牧畜や農耕が始まると、今まで採集による不安定な生活から計画的な食糧生産を行うようになった。 農耕や牧畜が始まった時期はまだ解明されていないが、およそ9000年前に西アジアで大麦や小麦の栽培が人類最初の農耕とされている。ただし、最初の頃の農法は、雨の水に頼る乾田農法と肥料を使わない略奪農法であった。大河の流域では、土地が肥え、温暖で雨が比較的少なかったため、麦類やあわ・きびなどの作物に適しており、作物の水を水路によって供給し、耕作地をうるおす灌漑による農法が発達していった。農耕と牧畜の生産経済によって、人々は耕地の近くに住み、家族同士がまとまって集落をつくるようになった。食料を保存したり煮るために土器をつくり、麻や羊毛で織物もつくるようにもなった。 石器も今までの打製石器ではなく、表面を磨いたり、刃を磨た磨製石器をつくるようになった。こうした時代を新石器時代という。農耕と牧畜が発展してくると、集落も大規模になり、生産にたずさわらず、道具をつくる職人や灌漑や治水、収穫物の管理をしたり、神を祭ったり、さらには集落を指導する立場の人間が現れ、職業や身分が異なり、貧富の差が生じるようになった。

現在,地球上にはどのくらいの生物種が存在するかは正確には分かっていません。およそ400万種から4000万種と見られていますが,人類が分類した生物種はこれまで180万種に過ぎません。人類だけが非常な勢いで人口を増加させ,地球上のあらゆる場所に進出している一方で,生息場所を狭められたり,乱獲により絶滅の危機に瀕している生物種も少なくありません。

人類がこのまま他の生物を圧迫し続けるならば,現代は「人類が引き起こした大絶滅の時代」と呼ばれることになるでしょう。40億年にわたる生命の歴史を今に伝える生物の多様性を次の時代に引き継いでいくのは人類の責務です。

絵を描くための羅針盤

はじめに

 絵画教室や美術学校で絵を習った後、自身で描き続けている中で、誰でもがどう描こうか迷いが出てきます。そんな迷いを解く手立てを求めている方や、現状の自分の作品に満足出来ず一段上のステージに登り表現を深めたい中級者向けに書き下ろしました。

 絵を初めたばかりの頃は一生懸命で無心に描けました。経験を少し積むと欲が出てきます。上手に描こうとか、他人の目が気になり出したりとか、良い絵とはどんなものなのだろうかと疑問やら雑念が湧いてきます。考えれば考えるほど迷路を彷徨ってしまう事が度々です。子供のころのように無心で描ければと願ってしまいます。しかし大人になるに従いそれから遠ざかっていき、経験を積めば積むほど子供の頃のように描くことはほとんど不可能になります。初心に逆戻り出来ないのなら大人の頭で考えていくしかありません。直観が鈍ってきていますので知識や技法や理論を駆使する外ありません。直観や感性を解く理屈っぽい理由付けをしていきます。迷いを少しでも解消するにはその世界の全体像を知ることです。美大の先生や評論家は知識が豊富です。一線で活躍する画家は様々な表現技法の引き出しを持っています。絵画についての歴史や有名作品の紹介、油彩や水彩画を描く為の技法書は多くあります。それではその知識や、その技法を使って何をどう描き、どう表現していくのでしょうか。描かれた絵を通じて、作家の感動がどのように鑑賞者に伝わるかの理論付けを試みます。勿論、最終的には、作品の絵画性は己の感性が性格付けをするのですが。

私自身が多くの事柄について悩んでいる途上です。その迷いを書き出し纏めてみれば不完全ながら一枚の海図が見えてくるのではと記述しています。未知の世界の探訪や危険な場所への冒険は心高鳴るものがあります。水先案内人無しで、自分一人で難問に挑戦するのもいいものです。迷い悩むのを楽しみに替えられるならそれに越したことはありません。ですが、一寸した一言がその人の眼前の世界の扉を開ける助力になる時があります。同道巡りをしている時、行き先へのヒントが欲しくなったら本書を開けてみてください。本書が絵という大海原での、貴方の描画という航海の海図となり、羅針盤になれたら嬉しい限りです。

<目次>

絵を描きたくなる動機

冒険への船出

この大海原はどうなっているの

私はどこに漂っているの

どの方向へ漕ぎ出せばいいの

海図はあるの

航海術を教えて

推進力はオール、帆、エンジン

目指すは自分の宝島

感動は共鳴から

修 破 離

芸術 深く

芸能 広く

外在世界:内面世界

物質 心精神

表現力 感受性想念

他者 自己

可視 不可視

相互影響

どう 何を

構図 構想

色彩

技法

「人はパンにてのみに生きるにあらず」「飢えた者にとって文学は必要か」

§Ⅰ・絵を描きたくなる動機

私たちは何故絵を描くのでしょう。先史時代から人類は絵を描いてきました。ラスコーの壁画は明日も獲物が捕れますようにという祈りなのでしょう。古代ギリシャの彫刻は、理想の世界を創造する神々の具現化は気高い意思の発露なのでしょう。宗教は見たこともない地獄や天国を壁画にしてあたかも実際にあるかのように絵描きに描かせ、感化や布教に利用したのでしょう。王侯貴族は華美な宮殿を造らせ、肖像画を描かせて権威の維持を図ろうとしていたのでしょう。自発的に描きたいと思うとき、依頼されて描くとき、いずれも描きたくなるきっかけはあるはずです。目の前にあるものを残したい。目に見えないものを形にしたい。遠くのものと手元に置きたい。恐らくそれらのことが動機になっているのだと思います。

子供は空飛ぶ飛行機を見つけると、手を横に大きく広げ、右に傾け、左に傾けもうすっかり飛行機になった気分になります。小さな子供の心はパイロットになって大空に羽ばたいています。心は伸びやかに広がって、心地よい喜びを味わっていることでしょう。これが創作の始まりです。

日常の生活をする住み慣れた居住地がそれぞれの都なのだけど、時々、私達は旅に旅立ちたくなります。旅は充実した時を過ごす心の別の場所からの願望なのでしょう。絵を描きたくなる動機は心の旅立ちです。

§Ⅱ・冒険への船出

私たちの心は自由なのです。子供のように空想し夢を膨らませれば、どんな世界にも行くことが可能なのです。

誰にでも想像は出来るのですが、絵などの形に残そうとするとはたと立ち止まってしまうのです。自由な心が知識や技術が無くても多くあっても縛られてしまうのです。社会生活を営むようになってきた大人は習慣が足かせになります。

創作の道へ一歩踏み出せる意思や意欲があるかが分かれ道になります。

一枚の紙と鉛筆一本を準備しましょう。小さなことを実行すれば次の意欲が生まれてきます。

さあ、自由な世界へ船出しましょう。

●「意」余って「技」足らず。「技」余って「心」無し

私が絵を習い始めた四十年以上前に教わった言葉です。今でも大切にしている座右の銘です。

こういう絵を描きたいのだが、表現する技術がない。技術が無いと焦れったくて仕方ありません。描写力、デッザン力等の技術はあるのだが伝わってくるものがない。上手い絵なのだがつまらない退屈な絵だと言われることがある。せっかく努力して描いたのに腹立たしく感じてしまいます。それは仏像作って魂入れず、ということなのですから拝んでくれなくても致し方ありません。

アスリートの世界では「心」「技」「体」と言われています。絵の世界では「体」はあまり重要視されていませんが、思った以上に体もつかいます。仏教に「色心不二」という言葉があります。ここでの色とは色体のことで目に見える物質的な現象のことを指します。心(シン)は空(クウ)のことらしいのですが、単純に目に見えない精神世界と解釈しておきます。不二とはその色と心が二つではない。すなわち心技一体と捉えられます。

絵を描く事、創作活動、芸術活動とは、この「心」と「技」の鬩ぎ合いなのです。

往々にして「技」を習得すると「心」がおろそかになってきます。ですが「技」を磨くことで「心」を広げられることもあるのです。

能の世界では「修」「破」「離」の過程を経て一人前になっていくようです。

「修」はまねて習うこと。「破」はまねて習得した形を破ること。「離」はそこから離れ超越し自分の境地を築くことと解釈しています。様式を学び、様式の殻から脱皮して、新たな個性を生み、それをジャンルとして確立させる意志が、どの世界でも共通した方向性だと考えます。

芸術、技芸の言葉の源は、ラテン語のアルス、ギリシャ語のテクネです。アートとテクノロジーは一緒のものだったのです。芸術イコール技術だったのです。退屈な絵になるからという一つの理由で技術を磨かなくてもいい理由にはなりません。技術を磨いて、その技術を壊し乗り越えていかなくてはなりません。「技」も疎かにできません。アカデミックな「技」は到達点が見つけやすいので、教えるにも習うにも比較的容易です。美学校での基礎教育にデッサンが多いのはこの為でしょう。

「心」の方です。これがまったく厄介です。心の問題は個人の問題です。教えられる問題ではなく、これから書く内容から何かを感じて貰うより仕方がありません。

心の世界、精神世界は素敵なときもあれば残酷なときもあります。精神世界の集約された型は宗教になると思います。宗教がもとで民族対立や宗教戦争が起きるのはどうしてでしょう。宗教は民族の結束の為や信奉する者にとっては心の癒しになるのでしょう。しかし、宗派の自己主張が強いと対立が生まれてしまいます。多くの悲劇が歴史上にはあります。「戸がガタピシと鳴る」これも仏教からの言葉ですが、漢字で書くとこうなります。「我他此彼」私と他人、此岸と彼岸。それらがぶつかり合い対立する様がガタピシです。自分の方が優れているとして他人を受け入れないから争いが起きるのです。ガタピシ言うなと言いたいのです。こちらとあちら、双方の存在を認めつつ区別しなくてはいけません。区切り線が三途の川です。自分は天国と思っていても、その人にとって彼岸は死の世界です。私は歴史上でも巷でも、精神世界でそれほど崇高なものに出会ったことはありません。それ以上に自分の精神など大したことではありません。自己主張、我が強い絵だと嫌味に見えてしまいます。我と個性は別物と思います。個性と不易流行の融合を図ることです。

文化とは自然と人間との間にあるオブラートです。脅威と畏敬の念を抱かせる自然と向き合うには過酷過ぎたので文化というワンクッションが必要になったのでしょう。この自然は第一環境と呼ばれています。現代人はもう一つの環境に対応しなくてはならなくなってきました。人間が作り出した事柄が第二環境です。建物や乗り物。生活様式や法律。宗教や芸術・学術。第一環境は自然という超越した存在なので、誰でもが従わざるをえなかったのです。一方、第二環境は自分と同じ人間が作った人工物なので刃向う余地が沢山あると思っています。現代人は多くの時間を第二環境の中で過ごしている結果、知らず知らずの間に人工物に刃向いイライラしているのです。そんな時に心を癒してくれるのは路傍に咲く自然の小さなスミレの花です。それは些細なことかもしれませんが大切な心です。

スミレが美しいのではなく、貴方の美しい心が美しいと感ずるから美しいのです。もの事が美しいと感ずる感性はその人の人格を決定する大きな要素であり大変重要だと考えます。美しい心を育むには自然に晒され自然を感じ自分を空にしたり、人との繋がりを損得、有無益を排除して接することと考えます。絵を描いたりする創作活動はある意味無駄なことで、その無駄な行為が心を高めることに有効なのです。

現代の芸術家の役割はこの第二環境で、情報過多の社会でもがいている現代人の心を的確に表現することが命題になっていると思います。

現代人の第二環境との葛藤を表現するのか、その葛藤で疲れた人の心を癒すのか?船出に際しここで答えを出せる問題ではありません。それぞれが航海を続ける中で見えてくるものだと思います。

§Ⅲ・この大海原はどうなっているの

川喜田二郎著「パーティー学」技術革命、産業革命、社会革命、人間革命